最近、「危機管理」ということを、よく考えます。

 

 

私がこの考え方に出会ったのは、1999年。「コンピュータの西暦2000年問題(Y2K)」のときでした。皆さん、そんな問題があったことを覚えておいででしょうか?

 

 

当時国際大学Glocom所長でいらした公文俊平先生が、アメリカで大騒ぎになっているのをお知りになり、日本での対応を訴えられ、私は自治体の対応を担当しました。

 

 

Y2Kには、いいことも大変だったことも、たくさんの思い出がありますが、そのときに、わたしなりに「危機管理とは、起こるかもしれないことに対して事前に対応すること」と理解しました(←正式な定義ではありませんが、いろんな経験から、私なりに感覚で理解した単純化した言葉です)

 

 

Y2Kは、本当に起こるのか起こらないのか、誰一人はっきりとしたことはいえない事象でした。「大騒ぎしすぎだ」というバッシングも非常に強かったけど、誰一人確実なことがわからず、万が一起こったら大惨事の可能性がある。だから事前に準備はしよう、それが危機管理だと、私は学びました。

 

 

しかし、まあ。

(何度も書いちゃいますが)それはそれはそれは。….たくさんのことがありました(笑)。

 

 

12/31は、日付が変わるのが最も早い太平洋諸島から順に、都内某所でインターネット業界の皆さんと徹夜の監視活動に参加。オーストラリアについで日本が日付の変わるのが早い大国だったので、非常な緊張感を持って1/1を迎え。

無事、ほぼ何も起きないことを確認。その後も次々と各国が日付を超え、夜明け頃一度ホテルに仮眠に向かう時、街中の電気がいつも通りついていることに、心からの喜びを感じました。

 

 

いろんな準備は無駄だったとは、私は全く感じませんでした。それが危機管理だと

学んだから。

 

 

私でさえも!某省庁からにらまれちゃったり(前例のないことに対応できずにいた国を、結果としては無視するような形で、自治体の方々とメーリングリストつくって情報交換する場をつくったり、いろいろ動いちゃったので)、停電に備えて実家に火鉢を送ったら、親から数年にわたりグチグチ言われたり。

…みんな、「危機管理」がわかってないなあ

 

 

 

そんな強烈な1年間を過ごした経験。あのときの感覚は大事にしていこうと、このごろよくY2Kを思い出してます。

 

 

 

<余談>

インターネット業界のダンナとは、Y2Kで知り合った。…震災婚ではないけど、「何も起きなかったうえに、お前はダンナをつかまえて。」と、たくさんの人に言われたかな(笑)

 

 

朝日新聞の見開き全面広告欄に、啓発記事が出るときに、公文先生の対談相手がおらず、できれば女性がよかったみたいで、なんと写真つきで、でっかく出たことも!(見開き全面紙面に写真いりよ~)。ウチのどこかには残ってるはずだけど、どこやっちゃったかな~。さすがにそれは、トモダチからの反響がすごかったな。

 

 

当時はバリバリの会社員だったのに、会社に直談判してその年の給料は半分、総務部もちにしてもらったワタクシ。だってふつうの研究活動、フルにはできなかったし。よくぞまあ、その申し出を認めてくれたもんだ。三和総研(当時)、いい会社だったわ!

 

 

いっしょにやってた自治体の皆さんとのご縁。インターネット業界の方々とのご縁。

これは今も生きています。