上野村の文化財調査委員、今井興雄さん。

地芝居の総監督でもいらして、夏に私に(衣装の)赤いお着物をささっと貸して下さった方です。

 

興雄さんは(上野村は今井姓も多いので、お名前にて)、上野村の歴史を訪ね歩く、ミステリーハンター。

 

例えば。

上野村の白井地区に、江戸時代初期に生きた、穀屋藤兵衛(黒澤藤兵衛)。そのお墓がコチラ。

 

どこにも、白井が隠れキリシタンの里だったという記述は、ない。けれど、このマークは、十字架ではないか。

 

….そして興雄さんは、さまざまな石碑や古文書をあたり、切支丹を連想させる「吉利」…などの文字を発見しておられます。真実は….、まだ、わかりません。

 

究極の真実はまだわからないけれど、今、白井の集落ではこんなチラシができ、看板も立っています!

 

 

そして、興雄さんに、「官兵衛で國創り」のお話をしたら、最初の一言がコチラ。

「キリシタン大名、官兵衛の”兵衛”の文字をもらったのが、(上野村白井地区の)(隠れキリシタン)藤兵衛だ!」 

(注:念のため、このご発言の裏付けは一切ありません…っていうか、このご発言はご冗談です、念のため)

 

 

「官兵衛で國創り」の企画書には、「1年かけて、住民自身が立体的な「地域活性化の大河ドラマ」を描いていく。」とあります。興雄さんの活動は、まさに、そのコンセプトを既に実践しておられるもの。キリシタン大名官兵衛とのつながりも、創造(想像)しながら!