本日、ムスメの誕生日当日です!(パーティだけ、先週末にやりました)。

11歳になりました。

 

…あっ。生まれた瞬間の時刻はすっかり忘れて過ごしてしまいました(笑)。まあ、10年以上もたつと、こんなもんでしょうか。

 

用松さんも本日がお誕生日!SNS情報としては公開になっていないので、ここでひっそり?お祝いさせていただきますね!

 

 

娘の誕生日を迎え、奇しくも来週、先祖ゆかりの神社にお参りに行くことになったこともあり、今日は自分のルーツを少しだけ振り返っています。

 

 

思い起こせば、2012年の6月。理事長と東北を回ったときに、お恥ずかしながら私は人生ではじめて、自分のルーツをたどり始めたのでした。鈍行電車の中から、夕焼けを眺めつつ、「そういえば、ひいおじいちゃんが生まれたという神社はこのあたりのはずだ」と、父に電話して、曽祖父(羽生隆)の生まれ育った神社の名前を「津島神社」と確認したあの時のこと、私は忘れません(笑)。その時まで、神社の名前すら知らずに、全く無関係に生きてきた、という大変お恥ずかしい記憶でもあります。

 

そしてそのときも、まだ、曽祖父が宮司だったことは知りませんでした。神社に生まれたが、教員になった、というなんとなくの情報だけ、聞かされてきたので。

 

その後の展開で、「八百万人」という言葉が宗教っぽいのではないかと、岸本さんに進言したその私が、宮司の末裔だったことを知りました。しかも、先祖代々宮司の家系だったという…。笑い話みたいな、本当の話。

 

その後、Facebookでその神社のページをみつけ、なんといきなり、私は(今、現在の)宮司さんにメッセージを送りました。

 

驚きとともに、お返事下さった、現在の遠藤宮司とやりとりさせていただくなかで、曽祖父、羽生隆まで、宮司を務めていたことを知りました。私たちには、教員であったということしか伝わってきてなかったので、教員と並行して宮司を務めていた、という事実には、父はじめ父の兄弟たちからも驚きの声があがりましたが、事実でした。お写真もいただきましたし、神社には、曽祖父が宮司と教員を両立させることに苦悩していた日記が残っているそうです。

 

「自分のアーカイブスに出会う(続・佐沼の津島神社)

http://sns.yaoyorozu-hito.jp/blog/blog.php?key=2144

 

そして今年のGWには、父や、子どもたちと津島神社にお参りに行きました。が、衝撃が大きすぎて、あまり言葉にできてないようです。

「これからのはじまりの旅」http://sns.yaoyorozu-hito.jp/blog/blog.php?key=3718

 

311の地震で、社務所は倒壊していました。その社務所を、このたび新築され、11/25に、その竣工式があります。

 

曽祖父の長女であり、私が長く一緒に暮らした祖母(故人・旧姓・羽生純子)と、純子の長男である私の父(高橋賢)、賢の長女である私(前村明子)の連名で、調度品を納めさせていただいたところ、その表彰式にご招待をいただきました。

 

過去に何があったのか…高橋家に残る曽祖父や曽祖母、祖母の純子の記録からは、教員であったことしか書かれていないので、まだ遠慮もあるのですが、津島神社の遠藤宮司が暖かくお誘いくださったので、行ってきます。

 

曽祖父は、山武(成東)にもつながっていて….。

http://sns.yaoyorozu-hito.jp/blog/blog.php?key=3659

 

 

新しくはじめるために、しっかりご挨拶をしてきます。

 

 

*いつか子どもたちに読んでもらいたいので、このカテゴリーは「親ばか」です。