一人で、今、絶句しています。

 

曽祖父のことをさらに少し調べていたら….なんと、旧制千葉県立成東中学校、現県立成東高校の教頭を、大正3年12月から4年一か月の間、させていただいていたことを知りました。

 

山武市にある学校ですね。

日本には今も1700以上の市町村があるわけですから…私自身が住民ディレクターでご縁のある山武市と、曾祖父がすでにご縁を紡いでいたとは!涙が出そうです。

 

成東高校、いつか、一度、訪問させていただきたいです。

 

私が長く一緒に暮らしていた、曽祖父の長女にあたる祖母(純子)は、幼少期を成東で過ごしたことになります。ちゃんと話を聞いておけばよかったです…

 

<今までの経緯はこちら>

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曾祖母(隆の妻、秀代)の残した文章までみつけました。そこには、かりさすさんがお正月に中継してくださった、「浪切不動」の文字が。….言葉を失っております。

 

父を憶ふ(羽生隆 妻・秀代)

 

父上様(注:隆の父、保)が亡くなられまして、早くも十三年、思い出の糸をたぐればなつかしい数々の思い出と共におやさしい温容が目に浮かんでまいります。私がはじめて佐沼に参りましたのは、大正三年の冬、旭川から成東への赴任の途中でした。長女純子を殊の他めでられて、出入りのおばあさんたちを招かれ披露の宴を催して下さいました。(中略)

 

大正六年の春、母上と共に団体旅行に加わられ、成東へお尋ねくださいました。丁度長男が生まれて間もないころでしたので、殊の外お喜びになり、男子でよかったよかったと幾度も繰り返して仰せられたことを今でも覚えています。浪切不動尊とラヂウム温泉とが近くにありましたので、ご案内して入浴され、一尺召されてご満足の御様子でした。(以下略)

 

 

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やっぱり言葉が出ません。

 

 

<追記>曾祖父をたどる全記録

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成東高校(山武)にもご縁が!http://sns.yaoyorozu-hito.jp/blog/blog.php?key=3659

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