この週末、父方の親族一同の集まりがありました。

私の父が長男なので、ふだんは東京で集まるのですが、もともとは関西の出身。親戚(父の兄弟)は、首都圏と関西にちょうど半分ずつくらい住んでいるので、今回は京都で集まりました。

 

私の主人をはじめ、私のいとこたちと結婚した方々は、「この時代に、これだけ親族が集まるってすごい」と皆さん、驚かれます。父の兄弟は(男ばかり6人)。そこにだいたい、2-3人の子どもたち(私のいとこたち)がいて、さらにその子供たち…なので、すごい人数になります。(この写真でもまだ全部は映ってないです)

 

 

その集まりの席で、父にしか伝えていなかった、ひいおじいちゃんが神官をしていた津島神社とご縁がつながったことをお伝えしました。たどろうと思えばこれまでだってたどれたご縁ですし、もちろん父の世代は皆さん知ってはいるのですが、現在は直接の関係がない。そこを私が、最後はFacebookにつないでもらったご縁。近いうちに、お参りに行ってお目にかかりたいと考えているのですが、本当に不思議なものです。

<これまでの経緯はコチラ http://sns.yaoyorozu-hito.jp/blog/blog.php?key=2144

 

改めていただいた写真も見ると、ひいおじいちゃん(先頭)は父にそっくり(いや、父がひいおじいちゃんにそっくり)

 

 

そうしたら、おじさん(父の弟)から、ひいおばあちゃん(つまり、羽生隆さんの奥さん)は、旧姓「田村」さんだったと教えてもらいました。「もとをたどれば皆、天皇家」みたいな揶揄もありますが、坂之上田村麻呂の子孫だったとか、そうでないとか、という話が、伝わっているそうです。もはや確かめようのない話ですが、名字が田村で、今も親族でそう話が伝わっているなら、そうなのかもしれません。

 

私に至っては、坂之上田村麻呂と聞いて、”征夷大将軍”、くらいは出てきたけど(滝汗)、即座にぐぐりました。平安時代の武将!もう歴史ロマンの世界(唖然)。

 

紫波城を築き(紫波といえば、私には吉田さんがお正月に中継してくださった場所)、wikiによれば、蝦夷を率いたアテルイ(阿弖利為、阿弖流為)とモレ(アテルイの妻)の降伏を容れ、彼らの助命を嘆願したが、京の貴族は反対し、二人を処刑した、とあります。

 

1月に盛岡&住田にうかがったとき、今までは注目されることが少なかった民衆のリーダー、アテルイのドラマが、ついにNHKBSで取り上げられる時代となり、それもよくできている、と、奇しくも岸本さんからも吉田さんからもうかがっていたし、今回の京都では、清水寺の近くに二人のお墓があることを知りました。なぜ東北の二人のお墓が京都に?と不思議だったんですが、坂之上田村麻呂が二人を京都まで連れてきて、(助命を嘆願したけど)処刑されてしまったんですね…。

 

 

 私には、蝦夷と京都の血が流れてるのかも(笑)。そして熊襲(←これは主人のほう)ともご縁があるわけですね!….と、歴史ロマンの中に勝手に(あくまで勝手に…笑)身を置くのも楽しいものですね!

 

 学生時代に、歴史もこうやって、自分自身の世界として学びたかったな!きっと、歴史って、誰にとっても本当はそういうものなのではないか…と、生まれてはじめて感じました。

これぞ、これもまた、当事者として、今を語る、「アクション・メディア」、でしょうか?!