こういうタイミングでもないと、永遠に書かない気がするので、母のこと。

 

実はワタクシ、高校時代に、なんと母親が音楽の教員として、同じ学校におりました。

母も同じ高校の卒業生で、なぜか、私の入学と母の赴任が同時という巡り会わせとなりました。それはもう、泣いて抵抗しましたが、母にとってもチャンスだったわけで、泣く泣く受け入れた、15の春、でした(笑)。美術だけはゼッタイ嫌よ、という私に対して、私の音楽クラスだけは、前任の先生が受け持つという暗黙のお約束をいただいて。

 

ということで、かなり変わった環境におりましたが、快適な学校生活でした。母が、私には一切関わらないようにしていたのかな。高校2年生まで、クラブと学校行事に燃え尽きて、全く勉強しなかった私に、さすがに1度だけ注意が下った以外、一切口出しされた記憶がありません。その注意も、もちろん、聞きいれませんでしたが、私がクラブと行事に燃え尽きた、ということは、母は見守ってくれたんでしょうね、今から考えると。

 

 

土曜日に同窓会に参加しても改めて感じましたが、合唱祭もさかん。同窓会でもみんなで歌いました。9月の1ヶ月間をかけてもりあげていく体育祭でも歌がつきもの。ということで、音楽の先生って、すごく大事なポジションの学校だった。

 

合唱祭があるから、私のことを知らない美術系クラスの人たちも、母のことは知っているわけです(笑)。

 

私が在籍している3年間に、伝統の男クラ(男子クラス)がなくなって混クラ(男女混合クラス)のみになり、(時代の要請で不可抗力の流れだったとはいえ)、それまで合唱祭を牽引してきた男性合唱がなくなることに対して、母はものすごい責任と葛藤を感じていたようでした。そんなことまでは、高校時代には全く気が付きませんでしたが。

 

音楽系のクラブもさかん。吹奏楽部も、音楽部(合唱)も、室内楽クラブもありました。私は室内楽クラブにおりまして、(顧問は他の先生がして下さってましたが)、音楽室の隣に音楽だけ専門の職員室があって、しょっちゅう、学校で母に会っちゃってました(爆)。

 

その後も、私は高校の同窓会組織には一切関わっていない不届モノですが、母はなんだかんだといろんなことに出席して、母校に尽くしているようです。

 

週末の同窓会では、何人の旧友に「高橋先生(=お母さん)元気?」と聞かれたことでしょうか。母にも出席を勧めたのですが、「今回は遠慮します」と頑なに欠席を貫いた母。またも私に気を遣ってくれたのかしら?

 

気が付くと、若くして私を産んだ母だったので、なんと私の高校卒業時の母の年齢を、既に私たち(先日の同窓会の同期たち)、超えている!そんな話をしてみたら、みんな複雑な顔をしていました。もう高校3年生の子供のいる友達も何人もいたから、不思議なことではないんですが、まだ4歳の息子を抱えるワタクシは、とっても複雑です(笑)。

 

以上、高校の同窓会に出て、改めて母に感謝の念を抱いた私でした。

 

わかーい母と生後数ヶ月の私。