書こうかどうしようか迷うが、書く。
2015年2月1日。フリージャーナリストの後藤健二さんが殺害された映像が、ネットに公開された。
私などが何を言う権利もなく、またこうして話題にしてしまうことが、ご家族にはご迷惑だろう。奥様の出されるコメントからは、行間に、あまりにも多くのことを感じ、言葉がない。
心からご冥福をお祈りする。そしてご家族がメディアにさらされることなく、そっと歩んでいかれることを祈る。

ソーシャルメディアでは、ISの残虐映像は無視し、後藤さんの笑顔や過去のツイートなどを共有しようという動きが広がっている。
でも。私は、昨日朝、ものすごく迷ったけど、映像を見た。もうYouTUBEからは削除されていたけど、ミラーサイトは簡単にみつかったから。勇気を振り絞って、見た。
そのあと、何をしていても、映像が頭から離れない。
そもそもの行為が論外であることは言うまでもなく、さらに、人の死を、あのように扱う行為があってよいのか。映像やネットを、あんな風に使ってよいのか。いや、使うことができるのか。
決して子供には見てほしくない。
これまで、ふつうだったら目にすることはなかったはずの場面を、こんなに簡単にみることができるようになってしまったのか。
時を同じくして、名古屋の殺人願望を持ち続けた女子大生が殺人を犯したニュースが国内で。

今私にできることは、自分の子供達に、きちんと伝えること。ちゃんと向き合おう。伝えよう。
15年余り前、イエメンに行きました。昔ながらの煉瓦の街に、今も人が住む首都サナア。白塗りのしっくいで厳しい日差しを遮る街、シバーム。シバームは部族長が街を治めていらっしゃいました。なんと出張だったので、部族長にもお話をうかがいました。朝に夕にアザーンが流れる、イスラムの国。
以来、私はアラブが好きです。
そんなママの昔むかしの経験も、子どもたちは知らない。いろんなことをちゃんと伝えるのは、とても時間がかかりそうだけど、未来をつくるために、今、私にできることをやろう。
最後にもう一度、心からご冥福をお祈りします。